♦️ はじめに
この記事は,妊娠中の生理学的変化シリーズの第2回として,血液・凝固系,腎機能,消化器系,そして薬物動態学的変化について解説します😊👍.
前回の【循環・呼吸編】では,循環血漿量や心拍出量の増加,機能的残気量の減少,仰臥位低血圧症候群などを取り上げました.
今回扱う内容は,麻酔科専門医試験および周術期管理チーム試験において,同様に高頻度で出題される領域です.特に,妊婦の凝固亢進状態と血栓塞栓症リスク,誤嚥予防としてのフルストマック扱いの根拠,そして胎盤通過性の原則は,試験対策と臨床実践の両面で必須の知識です!ここは「鉄板で出るところ」と言ってよいので,しっかり押さえていきましょう.
♦️ 血液・凝固系の変化
妊娠中の血液・凝固系は,分娩時の出血に備えた生理的適応として大きく変化します.これらは母体保護に有利に働く一方で,血栓塞栓症やDICのリスク増加というリスクも持っています.周術期管理の現場では,この「プラス面」と「マイナス面」を常に意識しながら対応することが大切です.
🔹 希釈性貧血
前稿でも述べたように,妊娠中は循環血漿量が著明に増加しますが,赤血球量の増加はこれに追いつかないため,血液希釈が生じます(1)(4).この結果,ヘマトクリット値は妊娠32〜36週頃に非妊娠時と比較して約15%程度(例:非妊娠時40%→妊娠時34%程度)低下することがあります(1).これを希釈性貧血または生理的貧血と呼びます.
重要な点は,この貧血が「生理的」であり,すべてが病的貧血ではないということです☝️.WHOでは妊娠中の貧血をHb 11 g/dL未満と定義しており,10〜10.9 g/dLは「軽度貧血」に分類されます.非妊娠時と比較すると妊娠では生理的にHbが低下するため,この基準を踏まえて評価することが重要です.ここを誤解すると,「全部鉄欠乏」と判断してしまう危険があります.ただし,鉄欠乏性貧血の合併も多いため,必要に応じて鉄剤補充を検討します.ちなみに,妊娠中の鉄必要量は約1,000 mg程度とされています(7).
白血球数も妊娠に伴い増加し,妊娠末期にはおおむね10,000/μL以上,分娩時には20,000/μL以上に達することがあります(1)(3).この白血球増多は感染症の診断を困難にする場合があるため,分娩前後の感染症診断ではCRPや臨床症状など,他の指標と併せた総合的判断が重要です.「WBC高い=すぐ感染」と短絡的に判断せず,妊娠という背景を踏まえる必要があります🤔.
🔹 妊娠血小板減少症
血小板数についても妊娠中に変化が生じます.妊娠後期の妊婦の5〜10%程度で血小板数が10万〜15万/μLの範囲に軽度低下することがあり,妊娠性血小板減少症(gestational thrombocytopenia)と呼びます(1)(7).
これは循環血漿量増加による希釈効果や,血小板消費の亢進が関与していると考えられており,通常は病的意義を持ちません☝️.
麻酔科医にとって重要なのは,この生理的な血小板減少とHELLP症候群や特発性血小板減少性紫斑病(ITP)などの病的な血小板減少を鑑別することです.脊髄くも膜下麻酔や硬膜外麻酔を安全に施行できる血小板数のカットオフを判断する際、生理的減少であれば区域麻酔は通常問題なく施行可能ですが,急速な低下や7万/μL未満への進行がみられる場合は病的原因を疑う必要があります.「妊婦で血小板が少し低い」場合,通常の血小板減少を念頭におきつつ,経過と他の検査所見を含めて判断する姿勢が大切です.
ちなみに血小板数は,通常産褥数日〜1週間程度で回復するとされています.
🔹 凝固亢進状態
妊娠中は凝固系の亢進と線溶系の抑制が起こり,いわゆる過凝固状態となります(1)(5).von Willebrand因子,第VIII因子,フィブリノゲンなどの凝固因子が増加する一方,プロテインSなどの抗凝固因子は低下します(5).これは「分娩時の出血に備える」という点で,合理的な変化です☝️.
この過凝固状態は,分娩時の出血に対しては有利に作用しますが,血栓塞栓症のリスクを非妊娠時の約5倍に高めるとされています😓(7).静脈血栓塞栓症(VTE)は妊産婦死亡の重要な原因の一つであり,リスク評価と予防が非常に重要です.
また,過凝固状態は播種性血管内凝固症候群(DIC)の発症リスクも高めます.常位胎盤早期剥離,羊水塞栓症,重症妊娠高血圧症候群などの産科合併症ではDICを併発しやすく,迅速な診断と治療が求められます.
試験対策としては,妊娠中の凝固亢進状態の機序,VTEリスク増加の程度,DIC易発症性の背景を理解しておくことが重要です.「単に過凝固」と覚えるのではなく,どの因子がどう変化して,どのような臨床像につながるのかをイメージできるようにしておきましょう☝️.なお,Dダイマーは妊娠中に生理的に上昇するため,肺塞栓症の診断における特異度が低下することにも注意が必要です(5).ここは鑑別でつまずきやすい部分なので,意識しておきましょう.
♦️ 腎機能・消化器系の変化
妊娠中は腎機能が亢進し,消化器系にも変化が生じます.これらの変化は検査値の解釈に直接影響するため,正確な理解が必要です.「いつもの基準値」で判断すると見逃しや誤診につながることがあるので,妊娠中の基準を頭に置いておくことが大切です☝️.
🔹 腎機能の亢進
妊娠中は腎血流量と糸球体濾過量(GFR)がともに増加します.GFRは妊娠第1三半期末までにおおむね40〜50%程度増加し,この状態が妊娠後期まで持続します(2)(4)(6).
GFR増加の結果,血清クレアチニン値と血中尿素窒素(BUN)は非妊娠時より低値となります.妊娠中の正常な血清クレアチニン値は非妊娠時のおおむね半分程度であり,0.8 mg/dLを超える値は腎機能障害を示唆する可能性があります(4).つまり,非妊娠時の基準値をそのまま適用すると腎障害の見逃しにつながります.「妊婦でCr 0.9 mg/dLは要注意」という感覚を持っておくと安全です.
また,プロゲステロンの平滑筋弛緩作用により尿管が拡張し,妊娠中期以降は増大子宮による圧迫も加わって,生理的な水腎症・水尿管症が認められることがあります(1).右側に優位であることが特徴です.この「右優位」は画像所見を読むときにも役立つポイントです.
尿検査の解釈においても妊娠中の基準を意識する必要があります.上記の腎血流量とGFRの増加に伴い,尿タンパク排泄量も生理的に増加します.妊娠中の尿蛋白/クレアチニン比(UPCR)の上限は0.3 mg/mg程度まで許容され,非妊娠時の基準(0.15 mg/mg)をそのまま適用すると過剰診断につながる可能性があります(4)(6).
また,GFR増加に加えて尿細管でのグルコース再吸収閾値が低下するため,血糖値が正常であっても尿糖陽性となることがあります(6).これは必ずしも糖尿病を意味するものではなく,「妊婦で尿糖陽性=即DM」と短絡的に判断しないことが大切です.
🔹 消化器系と誤嚥リスク
妊娠中はプロゲステロンの作用により消化管の蠕動運動が抑制され,胃排出が遅延します(1)(6).さらに,下部食道括約筋(LES)圧の低下と増大子宮による胃内圧上昇が相まって,胃食道逆流が起こりやすくなります.これは,妊婦さんが「胸やけ」や「逆流感」を訴えやすい理由でもあります🤮.
そのため,妊婦は誤嚥のリスクが高い状態にあります.特に妊娠18〜20週以降の全身麻酔では,たとえ絶食していても胃内に内容物が残存している可能性があるため,「フルストマック」として扱うことが原則です(4)(6).ここは産科麻酔の鉄板ポイントです.
全身麻酔導入時には原則として迅速導入(RSI: Rapid Sequence Induction)が行われ,輪状軟骨圧迫(Sellick手技)を併用することが推奨されます.また,術前の制酸薬投与(H2受容体拮抗薬やプロトンポンプ阻害薬,クエン酸ナトリウムなど)も誤嚥性肺炎の重症化予防に有効です.
プロゲステロンによる平滑筋弛緩作用は胆嚢にも及び、胆嚢収縮能が低下して胆汁うっ滞が生じやすくなります(1)。この結果、妊娠中は胆石症のリスクが増加します。妊婦の腹痛(急性腹症)の鑑別診断として、胆石症や胆嚢炎を念頭に置いておくことが周術期管理において重要です。
肝機能検査の解釈にも注意が必要です.AST,ALT,ビリルビンは妊娠中も通常変化しませんが,アルカリホスファターゼ(ALP)は胎盤由来のアイソザイムが増加するため,妊娠後期には非妊娠時の2〜4倍まで上昇することがあります(1)(4).ALPの単独上昇を肝・胆道系疾患や骨疾患と誤診しないよう,この生理的変化を把握しておくことが重要です.
♦️ 薬物動態学的考慮
妊娠中の生理学的変化は,薬物の吸収,分布,代謝,排泄すべてに影響を与えます.また,胎盤を介した胎児への薬物移行も重要事項です.「いつもの用量・いつもの解釈」が必ずしも正しくないことがあるため,ちょっと細かい話になりますが,薬物動態の変化を頭に入れておくことが,安全な麻酔管理につながります.
🔹 胎盤通過性の原則
薬物の胎盤通過性を決定する主な因子は,分子量,脂溶性,タンパク結合率,イオン化の程度です(2).
🔸 分子量
- 分子量に関しては,おおむね300〜500ダルトン程度の薬物は胎盤を容易に通過し,1,000ダルトン以上の薬物は通過しにくいとされています(2).例えば,スガマデクスは分子量が約2,178ダルトンと大きいため,胎盤通過性は低いと考えられています(2).
👉でっかいものは通りにくいというイメージで😊
🔸 脂溶性
- 脂溶性が高い薬物は細胞膜を通過しやすく,胎盤通過性も高くなります.チオペンタールやチアミラールなどのバルビツール酸系薬物は脂溶性が高く容易に胎盤を通過しますが,ベクロニウム(もう使用されていませんが)やロクロニウムなどの筋弛緩薬は通過性が低いとされています(2).
- プロポフォールは脂溶性が高く胎盤を通過しますが,蛋白結合率が約95%と高いため,遊離型は限定的です(2).オピオイドであるフェンタニルやレミフェンタニルも胎盤を通過し,胎児への影響を考慮する必要があります.
🔸 タンパク結合率
- タンパク結合率が高い薬物は遊離型が少ないため,胎盤通過が制限されます.このあたりは,「総濃度」と「遊離型」の違いを意識して説明できると,理解が一段深まります.
🔸 イオン化の程度
- イオン化の程度も重要で,非イオン型の薬物が胎盤を通過しやすくなります.
- 非イオン型で胎盤を通過した薬物が,より酸性である胎児血中でイオン型となり,胎児側に蓄積する現象で,イオントラッピング現象と呼ばれます(2).胎児仮死などで,胎児血がさらに酸性化することで増強される可能性があります.
- 特に局所麻酔薬で重要になる概念です.
🔹 母体での薬物代謝変化
妊娠中は肝臓の薬物代謝酵素(CYP酵素)の活性が変化します(2)(6).CYP3A4,CYP2D6,UGT1A4などの活性が増加し,これらの酵素で代謝される薬物のクリアランスが増加します.一方,CYP1A2活性は妊娠中に低下し,第3三半期では非妊娠時の約35%程度まで低下するとされています(6)(まぁここまで細かく覚える必要はありませんが😅).
この結果,ミダゾラムやフェニトインなどの血中半減期が短縮し,レベチラセタムなどの抗てんかん薬では必要量が増加する場合があります(2)(6).どの薬剤が「クリアランス増加側」かをざっくり押さえておくと,設問に対応しやすくなります.
また,GFR増加に伴い腎排泄性薬物のクリアランスも増加します.リチウムのクリアランスは第3三半期に倍増するとされ,血中濃度モニタリングと用量調整が重要です(6).ここは精神科領域との連携も重要になるポイントです.
血漿アルブミン濃度の低下により,タンパク結合率の高い薬物では遊離分画が増加します.これは薬効増強や副作用リスク増加につながる可能性があります(6).見かけ上の「総濃度」がそれほど変わっていなくても,実際の薬理作用が変化していることがある点に注意が必要です.
♦️ よくある質問(FAQ)
🤔 妊婦をフルストマック扱いする根拠は何ですか?
妊婦をフルストマック扱いする根拠は,複数の生理学的変化に基づいています.プロゲステロンの作用で消化管蠕動が抑制され胃排出が遅延すること,下部食道括約筋圧が低下すること,増大子宮により胃内圧が上昇することが主な要因です.これらにより,たとえ絶食していても胃内に内容物が残存している可能性があり,全身麻酔時の誤嚥リスクが高くなります.
そのため,妊娠18〜20週以降の全身麻酔では迅速導入と誤嚥予防策が原則となります.RSIや制酸薬投与の位置づけも,この生理学的背景から説明できるようにしておきましょう.
🤔 胎盤を通過しやすい薬物の特徴は何ですか?
胎盤を通過しやすい薬物の特徴として,分子量がおおむね300〜500ダルトン程度と小さいこと,脂溶性が高いこと,蛋白結合率が低いこと,非イオン型の割合が高いことが挙げられます.逆に,分子量が1,000ダルトン以上の薬物や,高度にイオン化している薬物は胎盤を通過しにくくなります.
また,イオントラッピング現象により,胎児血が酸性化している状況では薬物が胎児側に蓄積しやすくなることにも注意が必要です.この原理を理解しておくと,「どの薬剤が胎児にどの程度移行しうるか」を考える際の助けになります.
🤔 妊娠中はなぜ血栓ができやすいのですか?
妊娠中は凝固系の亢進と線溶系の抑制が起こり,過凝固状態となるため血栓ができやすくなります.具体的には,フォン・ヴィレブランド因子,第VIII因子,フィブリノゲンなどの凝固因子が増加し,一方でプロテインSなどの抗凝固因子は低下します.
この変化は分娩時の出血に対する生理的防御機構ですが,静脈血栓塞栓症のリスクを非妊娠時の約5倍に高めます.さらに,増大子宮による静脈還流障害も血栓形成に寄与します.「Virchowの三徴」と関連づけて整理しておくと,理解が深まり,試験でも応用しやすくなります.
📝 まとめ:Take Home Messages
妊娠は希釈性貧血と凝固亢進状態をもたらし,消化器系変化による誤嚥リスク増加,薬物動態の変化と胎盤通過性への配慮が周術期管理において不可欠です.
🔑 Key Points
- 希釈性貧血は生理的であり,WHOはHb 11 g/dL未満を妊娠中の貧血と定義する
- 凝固亢進状態によりVTEリスクは非妊娠時の約5倍に上昇する
- 妊娠18〜20週以降はフルストマック扱いとし,全身麻酔では迅速導入を行う
- 妊娠中の血清Cr 0.8 mg/dL超は腎機能障害を示唆する可能性がある
- 胎盤通過性は分子量300〜500 Da程度,高脂溶性,タンパク結合率で高くなる
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📚 References & Further reading
- 田中宏和. 妊婦の生理学. 日臨麻会誌. 2018;38(4):533-537.
- 川瀬小百合, 橘一也. 妊娠期の薬理学. 日臨麻会誌. 2018;38(4):542-546.
- 日本循環器学会/日本産科婦人科学会. 心疾患患者の妊娠・出産の適応,管理に関するガイドライン(2018年改訂版). 2019.
- Norwitz ER, Robinson JN. Physiologic changes during pregnancy. In: Belfort MA, et al., eds. Critical Care Obstetrics. 5th ed. Wiley-Blackwell; 2017:1-30.
- Mehta LS, Warnes CA, Bradley E, et al. Cardiovascular considerations in caring for pregnant patients: a scientific statement from the American Heart Association. Circulation. 2020;141(23):e857-e911.
- Eke AC, Gebreyohannes RD, Engmann CM, et al. Physiologic changes during pregnancy and impact on drug pharmacokinetics and pharmacodynamics. J Clin Pharmacol. 2023;63 Suppl 1:S34-S42.
- Kepley JM, Bates K, Mohiuddin SS. Physiology, maternal changes. In: StatPearls. StatPearls Publishing; 2025.
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