症例設定
【患者】
- 52歳男性.175cm,82kg(BMI26.8)
【現病歴】
- 右肩の慢性疼痛と可動域制限。MRIで大・小菱形筋断裂を確認。関節鏡視下肩板修復術が予定された。
【既往歴】
- WPW症候群(15年前に診断、症状なく経過観察中)
- 高血圧症(内服良好にコントロール)
- 軽度睡眠時無呼吸症候群(CPAP未使用)
【服用中薬剤】
- アムロジピン5mg/日
【主な検査所見・バイタルサインなど】
バイタルサイン
- BP 142/85mmHg、HR 82/分、RR 14/分、SpO₂ 96%(室内気)
血液検査:特記事項なし
心電図:PR間隔短縮、デルタ波あり(WPW症候群type A)、明らかな頻脈性不整脈なし
胸部X線:異常所見なし
心エコー:EF 65%、壁運動異常なし、弁膜症なし
気道評価:Mallampati分類II度、頸部可動域良好
Q1. ビーチチェア位での肩関節鏡手術の体位に関連する解剖学的・生理学的変化と、麻酔管理上の注意点を説明してください。
主な解剖学的・生理学的変化
- 頭位が心臓より高くなることによる静脈還流低下と平均動脈圧の低下、またそれによる脳灌流圧低下・脳虚血リスク
- 体格によっては,頸椎の屈曲・側屈・回旋がおきる場合があります。特に整形外科医が腕を引っ張ったりする場合。
- ヘッドギアや固定バンドによる顔面部圧迫による眼球・顔面神経障害・皮膚障害リスク・動脈圧迫リスク などがあります。
麻酔管理上の注意点
- 適切な体位固定(頸部過伸展・過回旋の回避、圧迫点保護)
- 体位変換時の循環変動への対応(段階的な体位変換、輸液負荷・一時的な昇圧薬投与の考慮)
- 脳灌流圧維持(平均動脈圧の適切な維持、目標MAP>70mmHgまたは術前値の70〜80%維持)
- 気道管理(気管チューブ固定の確認、体位変換後の換気・聴診確認)
- 神経障害予防(眼球・顔面保護、定期的な体位確認)が重要である。
- 特に高齢者や心血管疾患患者では体位変換による血圧低下が顕著となりやすく、昇圧薬の準備と予防的投与を考慮します。また、術中の空気塞栓症リスクも認識し、突然の循環変動や呼気終末CO2低下にも注意が必要である。
Q2. 関節鏡視下肩板修復術後の疼痛管理計画について説明してください。
- 当院では,末梢神経ブロック(腕神経叢ブロック・斜角筋間にチュービング。PCAボタン付)を行い,必要に応じてアセトアミノフェンの投与を行っています。術前に適切なブロックを行えば、術後数十時間の良好な鎮痛が得られ、オピオイド必要量減少、術後嘔気嘔吐減少、早期リハビリテーション開始が可能となる。
- 他の選択肢としては、創部浸潤麻酔・関節内注入、フェンタニルIV-PCAなどが効果的です。
- 斜角筋間アプローチの合併症として横隔神経麻痺に伴う呼吸困難感発生のリスクがあります。多くの患者で問題となることはあまりありませんが、肺機能が高度に低下しているCOPD患者等では,適応も含めて検討が必要です。チュービングの場合,脱落にも注意が必要です。
- 局所浸潤法としては関節内注射や皮下浸潤があります、簡便だが効果時間が短いです。
補足・解説
- 肩板手術,想像以上に痛みが強いですよね。昔ブロックがまだ普及してなかった頃はかなり痛がって増したが、ブロックを行うようになってからは痛みの訴えが劇的に改善し,リハビリもスムーズのできるようになったと,整形外科の先生も喜んでました😊。たまに持続がうまく効かない場合もあるけど・・・
Q3. 関節鏡視下肩板修復術において、灌流液使用に関連した気道閉塞のメカニズムと、早期発見のためのモニタリングについて説明してください。
- 関節鏡視下肩板修復術では高圧(60〜80mmHg)で生理食塩水などの灌流液を関節内に持続注入します。
- 灌流液が関節包外に漏出し周囲組織へ浸潤することで、
- ①前頸部・前胸壁の著明な腫脹、
- ②気道周囲組織の浮腫、
- ③頸部気道の圧迫、④縦隔への液体貯留と気道圧迫、
- ⑤気道閉塞や呼吸障害を引き起こす可能性がある
- (私自身は実際に重篤なものを経験したことはありませんが)
早期発見のためのモニタリング
- 早期発見のためのモニタリングとして、
- ①定期的な頸部・顔面の視診と触診(腫脹・浮腫の有無)
- ②呼吸パラメータの観察(気道内圧上昇、一回換気量低下、EtCO2波形変化)、
- ③頭頸部皮下気腫の触診確認、
- ④術中の灌流圧・灌流量の記録と過剰灌流の警告、
- ⑤喉頭浮腫の早期徴候(気道抵抗増加、吸気性喘鳴)の確認が重要である。特に手術時間延長例や高灌流圧使用例では注意が必要です。
- 腫脹が高度な場合は、手技の中止、オープン手術への切り替えも考慮します。
- 気道周囲の腫脹を認めた場合は、手術終了後に腫脹の程度や気道評価を十分に行い、場合によっては挿管したままICUで管理を行います。
Q4. WPW症候群の病態生理と周術期管理における注意点について説明してください。
病態生理
- WPW症候群は房室結節を迂回する副伝導路(Kent束)による心房-心室間の異常伝導路が特徴です。
- 通常の診断基準は①PR間隔短縮(<120ms)、②QRS幅の拡大とデルタ波の存在、③発作性頻拍の既往である。副伝導路を介した異常伝導により、①房室回帰性頻拍(AVRT)、②心房細動時の副伝導路経由の高頻度心室応答(最悪の場合、心室細動へ移行)のリスクがあります。
周術期管理の注意点
- 術前評価:症状の有無(動悸・失神歴)、抗不整脈薬内服状況、アブレーション治療歴、12誘導心電図での副伝導路の評価(A型:左側副伝導路、B型:右側副伝導路)
- モニタリング:5誘導心電図、動脈ライン留置の検討
- 麻酔導入薬選択の注意点:副交感神経刺激作用のある薬剤(プロポフォール、オピオイド)は使用可能ですが、交感神経刺激作用の強い薬剤(エフェドリンやケタミン)は避けます。低血圧時はフェニレフリンの投与を行います。
- 循環管理:十分な鎮痛(カテコラミン上昇を避ける)と適切な麻酔深度維持
補足・解説
- 本症例は無症候性で、かつこれまで不整脈イベントがなく低リスクと考えられますが、適切な麻酔深度維持と交感神経刺激の回避は重要です。
- 実際の試験でわざわざ心電図が出題されている場合,WPW症候群やBrugada症候群,QT延長症候群がないかのチェックを行うようにしましょう。
⏩【経過】
- 麻酔はプロポフォール、ロクロニウム、レミフェンタニルで導入し,維持はセボフルラン、レミフェンタニルで行います。疼痛管理として、腕神経叢ブロック斜角筋間アプローチを行い、持続投与用のチューブを留置しました。
- 麻酔導入は問題なく終了し、気管挿管も容易でした。ビーチチェア位をとり,手術開始しました。
- 手術開始90分後、灌流圧80mmHgで灌流継続中です。徐々に気道内圧に上昇が見られます。
🖥️【バイタルサイン変化】
- BP 92/55mmHg、HR 75/分、SpO₂ 99%、ETCO₂ 36mmHg。
- PIP (最高気道内圧) 22→28cmH₂O(VCV管理)
- 頸部腫脹、前胸壁膨隆を視認
- 手術用灌流液使用量:流入12L、計測可能な流出量8L(差分4L)
Q5. 頸部腫脹と気道内圧上昇に対する評価と対応について説明してください。
- 頸部腫脹、前胸壁膨隆、気道内圧上昇(PIP 22→28cmH₂O)から、灌流液の関節包外漏出による組織浸潤・浮腫が疑われます。
対応
- 執刀医への報告と灌流圧低減を要請します(80→60mmHgなど)
- 気道評価(用手的な頸部触診、気道抵抗評価)を行います。
- ステロイド(デキサメタゾン4〜8mg IV)の予防的投与を考慮します。
- 灌流液バランスが差分4Lと著明な不均衡を認めるため(計測できていないものもあるものの)、流入量と流出量の定期的な記録を継続し、術者と手術時間短縮の可能性やオープン手術への変更を協議します。
- 気道管理面では、換気設定の調整(モードの切り替えなど)を行います。
- 増悪する場合は血液ガス測定も行います。
- 術後気道閉塞リスク評価のため、抜管前にはカフリークテストを行います。
⏩【経過】
- 手術開始120分後、心拍数が突然170〜180/分(規則的な狭QRSの頻拍)に上昇し、血圧が75/45mmHgに低下しました。
Q6. 頻脈性不整脈の鑑別診断と治療について説明してください。
心電図所見が規則的な狭QRSの頻拍である点から
- 房室回帰性頻拍(AVRT)、
- 房室結節回帰性頻拍(AVNRT)、
- 心房頻拍、
- 心房粗動(2:1伝導など)などの鑑別を行います。
- 本症例の経過と所見からはAVRTが最も疑わしいと思われます。
対応
- 執刀医への報告と手術一時中断を要請します
- 循環動態評価(血圧低下あり、BP 85/45mmHg)の報告
- 心電図上の特徴的所見としては、規則的なRR間隔、P波の確認(逆行性P波の有無。QRS波の後ろからT波にかけて)、デルタ波の有無を評価します。
- 治療は、
- AVRTの場合,第1選択はATP急速静注0.1mg/kg、他にはベラパミル0.1mg/kgや,フレカイニド1mg/kgなどが用いられます。
- 頻拍停止後は、再発予防のため交感神経刺激回避(適切な鎮痛・鎮静深度維持)、電解質(特にK+)確認と補正、心電図継続モニタリングを継続します。
⏩【経過】
- ATP投与により頻拍は停止、洞調律(HR 88/分)に復帰し、循環動態は改善しました。その後は問題なく手術は終了しました。頸部腫脹は残存しています。
Q7. 本症例の抜管判断と術後管理計画について、気道合併症リスクを中心に説明してください。
- 灌流液関連の頸部腫脹が残存しているため慎重に行う必要があります。
- 抜管前評価として、頸部腫脹の程度と範囲の視診・触診、カフリークテストを行います。リークが十分ある場合、抜管を行うかどうかを最終決定します。
- 抜管を行う場合は、十分な自発呼吸(呼吸数、一回換気量、陰圧吸気力)、十分な覚醒の確認を行います。
- 浮腫対策としては、抜管前にステロイド追加投与(デキサメタゾン4〜8mg)の投与を行い、頭高位をとります。
- 抜管後も24時間のICU/HCU管理と呼吸状態観察を行い、喘鳴や嗄声、気道閉塞症状が見られる場合には再挿管ができる準備(DAMカート)を行っておきます。
- 頸部腫脹残存、声帯浮腫評価のためカフリークテストを実施。リークあり(陽性)でした。
- 循環動態、覚醒は良好、自発呼吸十分であることを確認し、ステロイド投与後,頭高位をとり、手術室で抜管しました。しばらく観察を行い病棟(HCU)に帰室しました。
- 手術1時間後、患者が喘鳴とともに呼吸困難を訴えて始めましたと,HCUナースから緊急コールがありました。
Q8. 緊急コールを受けた際の指示、到着後の緊急対応について説明してください。
- 患者の体位を頭高位とし、高流量で酸素投与を開始し、応援の依頼、DAMカートやビデオ喉頭鏡、挿管チューブがすぐに使用できるように準備を指示します。
- 到着後は迅速に気道閉塞症状の確認を行います(喘鳴、陥没呼吸、SpO2低下、意識変容の確認、血液ガス)
- 気道閉塞症状であれば気管挿管の準備を行いますが、余裕があればファイバーで咽頭部の観察を行い,浮腫の程度を評価します。
- 鎮静薬や筋弛緩薬により換気や挿管が困難になる可能性が高そうであれば、表面麻酔の上,意識下ファイバー挿管を行います。リスクがそこまで高くなさそうであれば、ビデオ喉頭鏡を用いて通常の挿管を行います。
- ファイバー挿管も困難であれば,早期からの外科的気道確保を行いますが,こちらはこちらで頚部腫脹が著明な場合は難しいことがあります(最終的には緊急気管切開)。
- 挿管後は、明確に浮腫が改善するまでは鎮静下で呼吸・循環管理を行います。