症例設定
【患者】
- 68歳女性.153cm,46kg(BMI19.7)
【現病歴】
- 4ヶ月前から上腹部不快感と食思不振があり,近医を受診.上部消化管内視鏡検査で胃体部に4cm大の3型進行胃癌を認め,生検で腺癌(tub2)と診断された.造影CT検査で明らかな遠隔転移は認めず,胃全摘術および所属リンパ節郭清(D2)が予定された.
【既往歴】
- 虚血性心疾患:10年前に労作性狭心症を発症.冠動脈造影検査で右冠動脈#2に90%狭窄を認め,経皮的冠動脈形成術およびステント留置術を施行.その後は安定しており,最近の運動負荷心電図で陰性
- 高血圧症:10年前から内服加療中
- 糖尿病:15年前から内服加療中(HbA1c 6.8%)
- 胃癌による癌性疼痛:1ヶ月前から増強(NRS 7/10)
- 30歳時:帝王切開(全身麻酔.PONVあり)
- 60歳時:胆嚢摘出術(全身麻酔.PONVあり)
- 喫煙歴:20歳から50歳まで20本/日,50歳以降禁煙
【服用中薬剤】
- アスピリン 100mg 1錠 朝食後(10年前から継続)
- アムロジピン 5mg 1錠 朝食後
- リシノプリル 10mg 1錠 朝食後
- メトホルミン 500mg 1錠 朝夕食後
- オキシコドン徐放錠 20mg 1錠 朝夕食後(2ヶ月前から開始)
- センノシド 12mg 2錠 就寝前(オピオイド開始と同時に開始)
【主な検査所見・バイタルサインなど】
バイタルサイン:
- 血圧 134/78 mmHg
- 心拍数 76/分,整
- 呼吸数 16/分
- SpO₂ 98%(室内気)
- 体温 36.3℃
気道評価
- Mallampati分類II度,開口制限なし,頸部伸展制限なし,甲状軟骨-顎間距離 >6cm
血液検査
- WBC 6,800/μL, RBC 380万/μL, Hb 11.2 g/dL, Ht 33.6%, Plt 22.5万/μL
- AST 24 IU/L, ALT 22 IU/L, γ-GTP 32 IU/L, T-Bil 0.8 mg/dL
- BUN 16 mg/dL, Cr 0.72 mg/dL, eGFR 62 mL/min/1.73m²
- Na 140 mEq/L, K 4.2 mEq/L, Cl 102 mEq/L
- 血糖 138 mg/dL, HbA1c 6.8%
- PT-INR 1.04, APTT 28秒
- 動脈血ガス分析(室内気):
- pH 7.42
- PaO₂ 88 mmHg
- PaCO₂ 40 mmHg
- HCO₃⁻ 25 mEq/L
- BE +0.8 mEq/L
- Lactate 1.0 mmol/L
心電図:正常洞調律,HR 72/分,ST-T変化なし
胸部X線:CTR 50%,肺野清,胸水なし
呼吸機能検査:
- VC 2.40 L (予測値の 92%)
- FEV₁ 1.92 L (FEV₁/FVC 80%)
心エコー:
- 左室駆出率 60%
- 明らかな壁運動異常なし
- 弁膜症なし
- 左室肥大なし
- E/A 0.8
冠動脈CT:
- 右冠動脈ステント部の開存良好
- その他の冠動脈に有意狭窄なし
⏩【経過】
- 患者は手術室に入室し,標準モニター(ECG,非観血的血圧計,パルスオキシメーター)を装着.右前腕に20G静脈路確保済.麻酔導入前,患者は落ち着いているが,「吐き気が心配」と訴えている.BP 142/83 mmHg HR 84/分 SpO₂ 97%(室内気).
Q1. 術前評価において,この患者の主な周術期のリスクについて説明してください.
冠動脈疾患:
- 10年前にPCIを施行され安定しているが,周術期の血行動態変動によるステント血栓症や新規虚血のリスクがある.アスピリンは基本的に周術期も継続することが多い.
- 術前の冠動脈CTで明らかな狭窄はありませんが,術中の急激な血圧低下やストレスで冠動脈攣縮のリスクが高まることに注意が必要です.
糖尿病:
- HbA1c 6.8%とコントロールは許容範囲だが,周術期の血糖変動に注意が必要.
- 特に術中ストレスや術後の疼痛等で高血糖を生じる可能性がある.
オピオイド内服中:
- オキシコドン徐放錠40mg/日を内服中であり,術中麻薬必要量の増加している.
- オピオイド耐性を考慮した術後鎮痛計画が重要.
PONVの既往:
- 過去の全身麻酔後にPONVの既往があるため,リスク評価と積極的予防が必要.
- 女性,非喫煙者,オピオイド使用予定,PONV既往があり,Apfelスコア4点(高リスク)と評価できる.
Q2. この患者の抗血小板薬(アスピリン)管理について説明してください.
- アスピリンは周術期も継続します.
- 根拠としては,
- 冠動脈ステント留置後10年以上経過しており,ステント血栓症のリスクは初期ほど高くないが,基礎疾患として虚血性心疾患があり,周術期心血管イベントリスクは非罹患患者より高いこと.
- 日本循環器学会「2020年改訂版 非心臓手術における合併心疾患の管理に関するガイドライン」では,高リスク手術(開腹消化管手術を含む)を受ける安定冠動脈疾患患者では,出血リスクと血栓リスクのバランスを考慮してアスピリン継続が推奨されていること,
- 胃全摘術は出血リスクがあるものの,アスピリン継続下での手術は可能であること,
- 硬膜外カテーテル留置に関しては,アスピリン単剤であれば,日本麻酔科学会「抗凝固・抗血小板療法中の区域麻酔・神経ブロック」ガイドラインでは禁忌とされていないこと などが挙げられます.もちろん硬膜外麻酔でなく,末梢神経ブロック+IV-PCAでもOK.
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